2013年07月26日

世界の事をわが身の事として考えるとは


先日、三女のお友だちのパパとママが遊びに来てくれました。パパはインドの方で、家に来るなり裏山の木に登り始め、ジャングルの様な所で育ったと知りました。自給自足の生活で、家までも村中で協力して作った話に私は興味津々。いろいろお話伺っている間に、インドでもその方の出身地の東北部は別な国の様に、宗教から始まり、言語も文化も何もかも違うという事を初めて知りました。そしてカースト制度はインドで80%を占めるヒンズー教の話で他の宗教の方にとっては、そんな教えはないとの事です。しかし、ヒンズー教の地域に入ると、なんとカースト制の最下位の下とされ、犬の様な扱いを受けたという話を紙に書きながら教えてくれました。話す言葉とペンを持つ手のエネルギーから、私の知らない世界には沢山の複雑な問題がある事を知りました。「インドには世界の全てがある」と聞きます。あらゆる宗教があり、世界中の問題が集結しているとも聞きますので、なるほどと実感しました。しかし逆に考えると、インドの問題が解決すれば、世界の問題も解決出来るという事
かも知れません。私の賛同するnpokoma が世界の要であるインドに導かれ活動している事にも納得します。
自分の知る事の無かった世界を知った時、自分の無知を恥ずかしいと思うと同時に、世界の事を自分の事として捉え、行動できるひとりの人間になろうという気持ちが生まれてきました。

Posted by puni at 11:10│Comments(0)
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